父が永眠しました。

5月26日、父が永眠しました。
5月27日に満84歳の誕生日を迎える予定でしたが、その一日前、83歳と364日で天国に旅立ちました。

複数の持病があって、1年以上入院していたのですが、深刻な状況ではなく、亡くなる数日前に会話をしたときも特に変わった様子はありませんでした。病院から熱があるので、検査をしますという連絡をいただき、検査をしたところ、腎臓の数値が驚くほど悪化していました。すぐに転院して透析治療を受けたのですが、同時に感染症にかかっており、主治医からは危険な状態だと告げられました。透析中に急激に血圧が下がり、そのまま帰らぬ人になりました。死因は急性腎不全。「熱があるので・・・」という電話を受けてから、亡くなるまでわずか30時間。信じられないくらい、あっけない最期でした。死に顔は穏やかで、苦しむ間もなく逝ってしまったことを、せめて前向きに捉えるしかありません。

男性の平均寿命が81歳なので、「人並み程度に生きたのかな」と考えたりもしますが、遺族としては、やはりもっと長生きしてほしかったです。

3年前に母を亡くしてから、父は時々「早く迎えが来てほしいんじゃけど、なかなか来てくれんのよ」と言っていました。あながち冗談とは思えず、切なくなって、「何言うとるん。そんなに早く向こうに行ったら、お母さんが『あんた、もう来たん。私がゆっくりできんが』と言って怒るわ。もうちょっと長生きせられえ。」と冗談っぽく返したことを覚えています。

両親が亡くなり、これで無条件に自分を守ってくれる人がいなくなったんだなぁと、自分でも少し驚くくらい、不安な気持ちになりました。50を過ぎて恥ずかしい限りですが、いつまでも両親に甘えていた自分に改めて気づきます。

お通夜では、父に遺体の傍らで、叔父(父の弟)が父のことを話してくれました。戦時中に幼少期を過ごし、家は貧しく、父は長男格(本当は次男だったそうですが、小さい頃に父の兄はなくなったそうです)として本当に苦労したそうです。やんちゃだった叔父が、近所のビワの木のビワを全部食べてしまったことがあり、父が謝りに行って、何度も何度も頭を下げくれたそうです。その姿が今でも忘れられないと言っていました。父は無口な人で、自分のことを語ることはほとんどありませんでした。家庭以外の父のことを、何も知らなかったんだなぁと思い、棺の小窓から父の顔を見つめました。

故人の遺志もあり、葬儀は近親者で執り行いました。一応、私が公人なので、新聞などで訃報を報じるのが一般的だと伺いましたが、新聞社にお願いしてそれも控えていただきました。皆様に十分にご連絡が行き届かなかった無礼をお許しください。

毎日、父と母の遺影に向かいお線香を挙げる日々が続いています。
今頃、天国で、父と母は仲良くやっているのでしょうか。
「あんた、もう来たん。せっかく私がゆっくりしていたのに。」
笑いながら怒っている母の姿が目に浮かびます。

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